自分は結構頑張っていて、ツイッターでメンヘラを大爆発させるのも、現実でしゃんとして生きていく上で案外必要なことだったりするのかもしれないと思うと、自分がおかしくなりかけることは、おかしくないことなのかなぁーとか思って自分をなんとか保ってます最近。

そもそも、おかしいなんて自分が決めることで、他人が決めることではないと思うんですよ。
私はクソがつくほどの真面目人間なので、これまでもこの先も真面目だけが取り柄で、真面目しか取り柄がなくて、「今までの人生で一度も悪い事をしたことがないです!」ということを自慢に生きていくんですけど。
でも実はそれは心の底から誇らしいと思っていなくて、むしろ無理矢理頑張ってみた結果なんかそんなこと言うようになっただけで、割りとどうでもいいんですけど。まぁ真面目だけど。
真面目というレールから外れることができない、だからといって、私の中の「真面目」から外れている人のことをとやかく言うこともない(だってそもそも、私以外の人類全員を不真面目だと思っているから)、なんなら不真面目に生きることのできる人間を羨ましく思っている。私は世界中の誰よりも自分が嫌いで、世界一真面目な人間である自分を認められない。意味が分からない。じゃあ、不真面目になれれば、私は私を肯定できるのだろうか?そんなことはない、私の真面目は私が決めているのだから、きっと今私が不真面目になったところで、それは不良になる訳でも罪でもない、ただ自分の中の「真面目」が拡張されるだけ。私は何者になりたいんだろうか、自分に認められたいのだろうか、だから他人にばかり優しくして、自分をひたすら卑下してしまうのか?他人を認めることは自分を認めるよりも簡単で、何の労力も使わないから楽です。

最近こんなふうに取り留めのない着地点のない頭の中の二人の自分の掛け合いを延々として、頭が疲れる身体もだるーい寝てるのに休まらないそんな感じ。

おかしいとか真面目とか、全部自分が決めることなんだと思います。