アイドルと古参

アイドルマスターミリオンライブシアターデイズ(通称ミリシタ)が配信されてから久しぶりにログインボーナスのための事務的な起動以外でソーシャルゲームを遊んでいる気がする。

 

アイドルマスターミリオンライブ!は元々2013年からGREEで配信されている、所謂プロデューサーさんがひたすら脳を財布を空っぽにしてポチポチして色々と強くなっていくモバマス同様のソーシャルカードゲーム。

ミリシタからは、桜守歌織と白石紬という新たな2人のアイドルが追加されている。

私は二次元・三次元問わずアイドルが好きなので、特に好きなキャラが居るわけでもないが、頭を空っぽにして楽しく遊んでる。

 

配信当初ツイッターを見ていると、「別に新たしいキャラ追加する必要なくない?」というようなつぶやきを目にすることがあった。

いわゆる「オタクと呼ばれる皆さん」は、新しくなっていくこと・変わっていくことに対して嫌悪感を覚えるように見受けられる。

一方では、新しいモノ(新しい作品、デビューしたての新人等々…)を、他の人が注目する前から応援するということに命を懸けているようなオタク(敬称略)も多い。

とりわけアイドルというジャンルにおいては「俺、この子がデビューする前からずっと応援してたんですよw」というような「古参アピール」がステータスになっている部分も往々にしてある。

どちらも、「好き」ということに変わりがないのであろう。何も悪いことはないし、そこまで情熱を注げるものがあるというのは楽しいのだろうなぁと羨ましくもある。

しかし時々、ひたすら新しいモノを追いかけては、情熱を注ぐものをとっかえひっかえしているような忙しないオタク(敬称略)を見かける。あれは何が楽しいのだろうか。

確かに、新しいモノには一緒に成長していくような感覚であったり、自らが育てていくような楽しさがあるのだろう。けれど、新しいモノは時間が経てば古いモノになる。永遠ではない。サービスが終了することもあれば、大きなコンテンツになっていき手の届かない存在になりもすれば、突然結婚宣言したりもする。

一時の快楽の為に「好き」を常に探し続けている人達は、きっと40~50歳になった時に何も残っていない空っぽな自分をどう感じるんだろうか。そもそもそういう人達は、棺桶の蓋が閉まるまで何も気付かないのかもしれないが…(それもまた幸せの形なのかもしれない)。

 

そんなことを考えながら今日は一日ベッドとイチャイチャしながらミリシタをプレイしていた。

白石紬ちゃんメッチャ可愛い。