嘔吐

昨日から、エクスペリアの画面に1mmほどの黒い点々が現れ

最初は「フィルムと液晶の間にゴミでもはいったのか」と思って爪でギーギーとやってたんだけど

今朝起きたら2〜3mmに成長していた。

おえ〜。

しょっちゅうスマホをバン!と床に落とすんだけど(昨日も液晶を下にフローリングに叩き付けた。故意じゃない。)、今までは液晶が割れたりしたことはなかったのに

折角スマホケース新調したばかりだし、買い替えたくねーなー、でも三年目だしなーとウダウダ「スマホ 液漏れ」で検索してみたら

「生き物ではないので自然治癒はしません。ひどくなる前に早く直してください。」
ってYahoo知恵袋に書いてあった。

アイドルマスターシンデレラガールズをやっていても、ツイッターを見ていても、このブログを書いていても左中央にある黒い点が気になり視線がそっちにいってしまう〜。おえ〜。

昔から、バグみたいなものに対して気持ち悪くて鳥肌が立つ人間だから、こうした本来ならば真っ白であるはず画面に一部分だけ黒(しかも横にビーってなってる超キモいおえ〜)があると違和感でむず痒くて常に鳥肌立ちまくる。

昔テレビが夜中になるとカラーバーが出ているのも苦手だった。ゲームボーイスーファミでソフトの挿しが甘いとバグって変な傍線入るのも。思い出すだけで全身鳥肌立ってきた。

おえ〜。

かわいそうな陰キャラと友達になってあげてほしいという話

陰キャラには二種類あります。

1つ目は、友達のいる陰キャラ。
これは、陰キャラ同士、コミュニティを形成するだけの能力がある者たちです。オタクの方々にはこれがよく当てはまるんじゃないかと思います。コミュニケーション能力がある為、立て板に水のごとく早口でアニメの感想を語り合う事もできます。

2つ目は、友達のいない陰キャラ。
これはもう手の施しようがありません。
友達がいないというのは、自分はコミュニケーションがうまく取れません自己紹介をしているようなものです。
「あー、この人コミュニケーション取れないタイプの人だなー……」と感じれば、周囲の人々も寄ってはきません。更に友達ができる機会から遠ざかっていきます。悪循環。
私はこの後者の陰キャラに属します。



晩ご飯のお鍋を作りながら、ふと学生時代の一コマを思い出します。

友達がいなかった私は、周囲と関わることを避け、なるべく外界の情報をシャットアウトして生きてきました。

授業は開始ギリギリにスッ……と座り、終業チャイムと共に鞄を持ち教室を出る。そんなタイムアタック記録は中学生から大学生になるまで更新され続けていました。

私は大学卒業後、もう一年間学生をしていたのですが、そこでは実習やなんやもあり、強制的にクラスの人たちとも関わらなければならず、飲み会に参加する機会も増えました。
お酒も入れば、普段交わることのない人とも臆することなく話すことができます。

「鍋パしようよ〜!うち、コタツもあるから!」

コミュニケーション能力に長けている者からしたら、何の気ない会話での一言。いわゆる社交辞令。

もしかしたらこの人と仲良くなれるんじゃないか……?

そんな期待も膨らみます。しかし陰キャラ、傷付きたくないという恐れも大きく、それ以上その話題を発展させることはできません。臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。(「山月記」)

しかし、当然ながら、それ以降に鍋パーティーが開かれることはありませんでした。


友達の居ない者は、多かれ少なかれ、相手から近付いてくれることを心の奥底では求めています。しかし、自分から友達になろうと積極的な努力はしません。なぜなら、友達が欲しくても、自分から仲良くなるための術を持ち合わせていないからです(まぁそんなの甘えなんですけど……)。

私は一生、こうやってモゴモゴ……とヤマアラシのジレンマと闘いながら孤独に生きていくんだなぁ。

そんなことを考えながら作ったお鍋は美味しかったです。

(文章力がないので途中で飽きた。)

はじめての街コン

初めて街コンに行ってきた。

街コン初心者なので「猫×アニメ好き」を謳ったものに参加してみることにした。

女性の参加費は3000円(男性は倍額↑)。ワンドリンクで食事はなし。会場は猫カフェ
看板も出ていない雑居ビルにあり、随分迷ってしまいギリギリ到着。

入り口にいるお姉さんに身分証明書と申込時のメールを見せると、ソファに通される。
ソファの向かいには男性が床にあぐらで座っていた。
他のソファも同様に、女性が一人ずつ座っていてその向かいに男性が2〜3人という具合い。
私の座っている他に5組あった。明らかに女性が少ない。

猫カフェ行ったことある人なら分かると思うんだけど、紙コップがぽかんと落ちてきて注がれるタイプの自販機が置いてあるのが大半だと思うんだけど、ここはそれらしいものは見当たらなかった。

着席すると自己紹介シートを書かされ、もうこの時点で開始時刻回ってるんだけど「まだ到着されていない方がいるのでもう少し待とうと思います〜」ってお姉さんが言ってる。多分ドタキャンだろうなぁって思いつつも、シートを完成させながら待ってた。

ちょいと遅れて始まると、お姉さんが仕組みを説明してくれた。
10分会話した後、ソファに座ってる女性は動かずに男性が時計回りに回っていくスタイルらしい。
私の座ってるソファは入り口に一番近く、猫が集まりにくい場所に位置していたから、私も動きたかった。


なんかぬるっと始まって会話もスタートするけど、もうつらかった。

なんか自分の卓は沈黙が多い気がするし、シートの【猫派?犬派?】の質問に犬派って書いてある人居るし(猫好きじゃないの?)、男性ペアが卓を回る毎に親密度増してて男同士盛り上がっていて私空気だし、自分の卓だけぎこちない空気漂ってる気がするし、マギ知ってます?って聞かれたから「石原夏織ですよね?」って答えたらアニメ?は見てないんだ〜って変な空気なるし(アニメ好きじゃないの?)、自分の卓は話が盛り上がらない気がするし、30分経った辺りで配られたのがラブホ備え付けの原価10円ですか?っていうようなミネラルウォーターだし……


中高6年間帰宅部で鍛えた脚力で気付けば終了と同時に誰よりも早く荷物を取りドアに向かっていました。

何よりも毎回毎回すべての人とLINEを交換するのが苦痛だった。私のQRコードなんて誰が知りたいんだよ。なんかごめんなさいねあなたの友達の枠を一つ使ってしまってという気分にさせられた。



結論:コミュ力のない人間は街コンに参加してはいけない

触らぬ神に祟りなし

最近無駄にネットサーフィンをしていて、今日も風呂上がりに飛んで飛んでを繰り返していると気付いたらトラウマを書き込むスレのまとめを見てしまい、超具合が悪くなった。


「トラウマを掘り下げる」とか「トラウマに真正面から向き合う」とかよく言うけど、思い出すのが辛くて痛くて仕方ないものがトラウマなのにじゃあ何だよお前が死ねよってなる。

「もう掘り返せなくなるぐらい地中深くまでトラウマを埋めちゃって、一生目に触れなくすればいんじゃね?」って思って生きてきて、今もまぁそう思っている。


「掘り下げろ」「向き合え」なんて平気で言える人間は、染みる傷がないからそんな根性論が言えるわけです。
誰かに話をして、トラウマに触れながらも楽になる人もいるかもしれない。でもそれは、例えば、話を聞くのが上手なカウンセラーと面談を行ったもことがトラウマ克服に繋がったわけではなく、自身が自身の過去を客観的に捉え整理する能力に長けていたから=その人の持つ強さが、自分のトラウマ克服に繋がった。と思う。

じゃあ強くない人はどうしたらいいんだろう、と泣きながら都内近郊のEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法。Eye Movement Desensitization and Reprocessingの略。PTSD-心的外傷後ストレス障害に対して効果が実証されている心理療法。)を行っている病院をを探したりしていたけど、こういうのって結局保険適応外のカウンセリングとして行っているから、お値段で敬遠してしまう。

こうやってメンヘラは一人また二人と死んで行くんだなって思いながら、猫を腹に乗せてミャーミャー泣いてた。「そういえば最近泣いてなかったな」って無理矢理にでも涙出したらちょっと落ち着いてきた。絶対50分12000円取られるよりこっちのほうが効果あるよなって思ったら、根を詰めて探していたのが馬鹿らしくなった。

この前見た映画

今まで映画館で1800円払って見るぐらいならDVDになるの待つわ派だったけど、最近月1〜2ヶ月に1回ぐらい映画見てる気がする。

いつかの土曜日にゴロゴロ王様のブランチ見てたら「あっ、これ見に行きたいな」って思ったのが、先週末まだやっていたから


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スリー・ビルボード

娘を殺され狂った母親が、犯人を捕まえない無能な警察を三枚の大きな広告看板で煽り、そこから色々あるお話(適当)


もちろんストーリーや事実もどんどん展開していくのだけど、そこから色々な立場の登場人物の一人ひとりが、良くも悪くも変わっていく。感情移入が追いつかなくてどんどんと進んでいく物語についていきながら、ただずっと泣いていた。隣のお姉さんもずっと泣いていた。何となく、「あっ、隣の人泣いてる。」という謎の安心感が互いに生まれ、更に泣いた。

私は高校生の頃から犯罪心理学を学びたい!と心理学部に進学した歪んだ人間なので、小説や映画もサスペンスが好きで、これも人死んでるし面白いだろ見てみよみたいな気持ちだったのだけれど……感動映画よりも泣いていた気がする。多分今まで見た映画の中で一番疲れた。終始暗いし重い内容というのもあるけれど、出てくる登場人物達が本当に一人ひとり際立っていて、誰の立場にも共感できて、気持ちが分かるけど、もう一方の立場に立つと……あー苦しい……みたいな。
でもいまだに気付くと映画を見たあとのあのぼーっとした余韻が残っているというか、「人間の最期って……」と考えはじめてしまう、自分の生活まで侵食されてしまったそんなお話だった。

まだ上映中だから見てほしい。


あと最近だと「嘘を愛する女高橋一生ってなんであんななよなよしてるのにイケメンって言われるんだろ、私も同棲からの結婚を意識したい、長澤まさみ劣化したな、ぐらいの感想。涙腺がお婆ちゃんだから泣いたけど、DVD待っても良かったなぁという感じだった。

眠い、おわり。

特にない

最近、というか一昨年の秋頃から、職場で突然パニック発作を起こして以来、家(特にお風呂や消灯後のベッドの中)でも不穏になることが多くなり、なるべく動悸や過呼吸につながる行動(しゃくり上げるほど泣いたり、カフェインを摂ったり、狭い部屋等不安になりやすい場所に行く等)を避けて生きてきた。でも昨日とても辛い気持ちになり、久しぶりに思い切り泣いた。【不安→泣きたい→でも泣いたら発作怖い→我慢】、というようにしてきたけれど、やっぱり涙には浄化作用があるな泣くとすっきりする。一番最初の【不安】が取り除かれるからすごく楽になった、今まで頑張ってたのアホらしくなった。今日も人が死ぬブログ読んで大泣きした。カタルシス〜って感じだった。


カタルシス
katharsis
精神医学用語。浄化法ともいう。想起するだけで不快感や不安がよみがえる体験や心のしこりを自由に表現させることによって,心的緊張を解く方法。精神分析では暗示や示唆を避けるのに対し,方法に固執せず,内部信号系を外部信号系 (言動) に転換させる過程と結果を重視するものもある。麻酔分析,集団療法,自律訓練など,いろいろな方法が用いられる。


試験まで2ヶ月しかないのにここ数日(主に精神的に)具合が悪くて一度も紙とペンに触れてない。
軽い躁転で街コンに申し込むも案の定翌日行きたくなくなってやめた。私の結婚したいはそんなもんなんだなと思った。最近平均3〜4時間ぐらいしか寝れない。先週行くはずだったこころのびょういん行き損ねて薬が尽きそう。お金がない。早く友達に会いたい。2月だし今週はがんばる。

自分は結構頑張っていて、ツイッターでメンヘラを大爆発させるのも、現実でしゃんとして生きていく上で案外必要なことだったりするのかもしれないと思うと、自分がおかしくなりかけることは、おかしくないことなのかなぁーとか思って自分をなんとか保ってます最近。

そもそも、おかしいなんて自分が決めることで、他人が決めることではないと思うんですよ。
私はクソがつくほどの真面目人間なので、これまでもこの先も真面目だけが取り柄で、真面目しか取り柄がなくて、「今までの人生で一度も悪い事をしたことがないです!」ということを自慢に生きていくんですけど。
でも実はそれは心の底から誇らしいと思っていなくて、むしろ無理矢理頑張ってみた結果なんかそんなこと言うようになっただけで、割りとどうでもいいんですけど。まぁ真面目だけど。
真面目というレールから外れることができない、だからといって、私の中の「真面目」から外れている人のことをとやかく言うこともない(だってそもそも、私以外の人類全員を不真面目だと思っているから)、なんなら不真面目に生きることのできる人間を羨ましく思っている。私は世界中の誰よりも自分が嫌いで、世界一真面目な人間である自分を認められない。意味が分からない。じゃあ、不真面目になれれば、私は私を肯定できるのだろうか?そんなことはない、私の真面目は私が決めているのだから、きっと今私が不真面目になったところで、それは不良になる訳でも罪でもない、ただ自分の中の「真面目」が拡張されるだけ。私は何者になりたいんだろうか、自分に認められたいのだろうか、だから他人にばかり優しくして、自分をひたすら卑下してしまうのか?他人を認めることは自分を認めるよりも簡単で、何の労力も使わないから楽です。

最近こんなふうに取り留めのない着地点のない頭の中の二人の自分の掛け合いを延々として、頭が疲れる身体もだるーい寝てるのに休まらないそんな感じ。

おかしいとか真面目とか、全部自分が決めることなんだと思います。